「俺さ、長髪が似合う子のほうが好きなんだよね」
つい数分前まで私の目の前にいた近藤 啓介が別れ際に吐いたセリフが、私の弱った心をえぐるように深い傷を残しながら、消えることなく重くのしかかる。私のほうを一度も振り返ることなく立ち去る彼の背中を、見えなくなるまで見つめていた。
高校一年生。バレー部に所属する私は、部内で暗黙の了解になっている髪の長さを従順に守っていた。今さらそれを破って髪を長くしたところで彼は戻ってこないし、きっと部活にもいづらくなる。
彼がどうして急にこんなことを言い出したのか、私はその理由を知っていた。一つ年上でサッカー部のキャプテンを務める彼は、かっこよくて背も高くて女子の人気を独り占めしている。そんな彼のいるサッカー部には三人のマネージャーがいて、そのうちの一人の女の子と関係を持っていたのだ。それを教えてくれたのは、彼の幼馴染でもあり同じサッカー部に所属している久慈 悠太先輩だった。
(前から君のことが好きだったんだ。付きってください)
そっちから告白してきたくせに、ふざけんなよ。溜息をつくように吐き出した言葉に、返事が返ってくることはない。けれど、その言葉を啓介に直接ぶつけることができるほど私は強くなんかなかった。こうなることなんてとっくにわかっていたのに、それでもこんなにも辛くなっているんだから。
その日は一日ずっとなにもやる気が起きず、嘘をついて部活も休んでしまった。放課後になり珍しく一人で帰路を歩いている時、すれ違うカップルを見るたびに、心の傷がどんどん広く深くなっていくような気がした。
あぁ、そっか。あいつの嫌いな風に変わってやればいいんだ。苦しさから逃れるために私が選んだ答えは、髪の色を変えてやることだった。ほんとは髪の毛を伸ばして金髪にでもしてやりたかったけど、そんなことをしたらきっと私の親は泣きながら私をしかりつけるだろうから、髪の長さは変えずに明るいブラウン系に染めてイヤリングをつける程度で思いとどまった。
次の日学校に登校した時、ひたすら真面目な黒髪少女だった私が、髪を染めたうえにイヤリングまでつけるというあまりの変貌ぶりに、関心と心配の視線を一気に浴びたのは言うまでもない。
「優華あんたなに考えてんの!」
私のお母さん並みに大きな声に驚いて振り返ると、そこにいたのは親友の泉澤 まどかだった。そういえば、啓介にフラれたことをまだ報告していなかったっけ。
「昨日ね、私啓介にフラれたの。だから、あいつの嫌いな風に変わってやろうかなって思ってさ」
そう説明する私の顔を見ながら、まどかは大きなため息をついて、ほんと不器用すぎ。そう言いながらかすかに微笑んだ。
ふと、周りが静かになったので後ろを振り返ると、そこには啓介が立っていた。
「なんか雰囲気変わったね。好きだよその感じ」
昨日あんなふざけた理由でフッたくせに、そんなことを悪びれる様子もなく言える神経にいら立ちを覚えた。けれど、それ以上に喜ぶ気持ちが大きくなっていることにも気づいてしまった。ついさっきまではぶん殴ってやりたいくらいムカついていたはずなのに…。
「やっぱやり直そうか、俺たち」
そう言いながら啓介が私の体に触れようとした時、誰かが私の手を強く引いて、もたれるように腕の中に包まれた。驚いて顔を上げるとそこには悠太先輩がいた。
「お前じゃこいつのこと幸せになんかできない。俺が幸せにする」
思いがけない悠太先輩の言葉に崩れ落ちそうになるが、男らしい太い腕がしっかりと私を掴んで離さない。
「なんだよ悠太、邪魔すんなよ。これは俺と優華の問題だ」
「あぁ、確かにお前と優華の問題ではあるかもしれない。でも、俺はずっとこいつのことが好きだった。だから、もうこれ以上お前に傷つけられるのを見ていられないんだよ」
突然の言葉に驚く私を横目で見ながらそう言い切ると、悠太先輩は私と向かい合うように立った。
「ずっとお前のことが好きだった。昨日までのお前も、今日のお前も、これから先のお前も全部俺は好きでいるから。だから、俺のそばにいてくれないか」
私の目を見つめながら真剣に気持ちを伝えてくれる悠太先輩も顔を見ていると、どうしようもない安心感と愛おしさに包まれて、気が付くと私は首を縦に振っていた。そんんな私たちを見て啓介は悔しそうに顔を歪めながら立ち去っていった。
二年後、私が高校を卒業するのに合わせて、悠太先輩と同棲を始めた。それからさらに四年経った今では、かわいい息子にも恵まれてもう立派な旦那様だ。
人を見かけで選ぶような人間ではなく、中身を見て選んでくれた彼と一緒。になって本当に良かったと思っている。将来息子が大きくなった時に、そういう人間になるように話してあげようと思っている。
あの時思い切ってイメチェンしてよかったと今更しみじみと思いふけりながら、私は幸せを全身で噛みしめた。
・ペンネーム
たろす