女は失恋すると髪を切る。
そんな迷信を俺が知ったのはいつだっただろうか。思い出せない。
ただ『髪型でイメチェンする異性』というワードを聞いたり、刈り上げとベリーショートのヘアスタイルというやってみたいヘアスタイルを平然としているモデルを雑誌で見たりすると妹の姿が脳裏によみがえる。
晴れ着姿でほほ笑む妹とマッシュヘアをバッサリ切り捨てて野球少年のような髪型になった暗い顔の妹、その妹はどちらも1日のうちに起こった。
身内ではあるものの、妹は残念ながら美人ではない。
もっと言うならブスだ。何というかドッジボール部に所属しているような、あるいは農家の奥さんのような骨太で体格の良さが目立つ女子である。
それで朗らかな性格なら救いがあったかもしれないが、妹は内気だった。そのせいで小中高、そして専門学校を通していじめられた。
そのいじめのせいでますます妹の心を閉ざされてしまい、周囲から孤立した。
コミュニケーション能力を培えなかった妹はろくな体験をできず、高校生になってもチェーン店に入れなかったぐらいだ。
笑いものはさらに笑いものに、だけど俺たち家族は何もしなかった。
俺は恥ずかしかった。いじめられる妹が。
俺は妹と別物として扱われたけど、いつ妹のことを取っ掛かりに俺もいじめられるかとビクビクした。
それに俺は男で、妹は女だ。
妹は友達がおらず、ゲームにのめり込んでいたから同じくゲーム好きである俺との話が通じ合うけど何というか疲れて仕方がなかった。
だから女性としての話題は母ちゃんに任せていたつもりだけど、母ちゃんは母ちゃんでほったらかしにしていた。
俺の親は2人も公務員で、父ちゃんは市役所職員、母ちゃんは学校の教師だ。
だから忙しかったのは理解できるけど、それで子育てに失敗したのだから笑ってしまう……俺も人の事は言えないけど。
話を戻そう。
そんな妹もやはりというか、女の部分は持っていた。
こっそりと乙女ゲームのソフトを隠していたり、羨ましそうに可愛い洋服を見ていたり等々。
真っ先にゲーム雑誌を購入しまくっていた青春時代を思い出すのに、次の瞬間にはじっと我慢するようにしている妹を脳裏に描いちまう。
馬鹿だよな、今更兄貴面してメイクやアクセサリーをプレゼントしてもお前の心の傷は治らないのに。
とにかく妹にも女らしい部分があるのは分かってくれただろうか?
なら本題に入ろう。
あの日は妹が専門学校を卒業する日だった。
妹が入学した専門学校は調理師専門学校だったが、それは将来のためではなく、妥協だった。
俺と妹は年子で、1歳違い。だから学費で家は火の車で、妹はそれをよく知っていたから学費が安い学校を選んだ。
かくゆう俺は先に進学したことをいい事に県外の学校を選んだ。
気にしなかった。
だって俺は楽しい毎日を過ごしたかったから。
そんな俺があの日、実家にいたのは偶然だった。
だけど今思えば悪質な必然のようにも感じられる。
過去の出来事なんてどうとでも言えるけど、あの日の朝はこんな暗い気分になるとは想像できないほど清々しかった。そして騒がしかった。
何しろ卒業式なのだ。
中高なら制服で済ませられるが、専門学生でも晴れ着が当たり前だ。
近所で家族ぐるみの付き合いをしている美容室に予約を取り、そこでメイクや着替えをし、母ちゃんの車で学校に届ける。
俺は街で遊びたかったので学校に届ける道中を一緒にさせてもらった。
車に乗る直前、一度家に帰ってきた妹の姿を堪能したがやはり馬子にも衣裳だった。
だけど精一杯おめかしをした妹はほのかな嬉しさを噛み締めているようで、実際その笑顔はあたたかいものだった。
きっと今日はいい日になる、そう信じたぐらいに素敵な笑顔だった。
だから夕方、遊び疲れて家に帰ってくると二次会にいるはずの妹が家にいた時は驚いた。
もっと言うならその髪型がマッシュヘアではなく、野球少年のようにボーイッシュなヘアスタイルになっている事には目を疑った。
「母ちゃん、あいつどうしたん?体調でも悪くなったのか?」
妹に尋ねるのははばかられ、一日の付き添いをするはずだった母ちゃんに聞いてみると返ってきたのは深いため息だった。
「あの子ね、笑われたのが相当堪えたみたい」
「堪えたってなにが?」
「髪型。
何でもね、自分と髪型をしていた子が『やだー!』って陰口をたたいたんですって。
で、その子と隣にいた仲のいい男の子が『お揃いじゃん』って笑ったんですって」
ガキかよ。俺は思った。
「それで帰ってきたのかよ」
「どうせもう行かないからね。
私も『二次会くらいは行きなさい』とは行ったんだけど……」
「……髪型は?」
そこで母は呆れたように言った。
「言ったでしょ。我慢できなかったんだって」
女は失恋すれば髪を切る。
それはきっと辛い思い出と別れたいからだと俺は妹を通して思う。
だけど妹は今でも辛い思い出と別離できていない。
妹は数年後、引きこもりになった。
在宅ワークはしているようが、雀の涙だ。
けどあいつは生きる気をすっかり失くしている。
いや、違うかもしれない。
あいつは救おうとしなかった俺たち家族に優しいなりに復讐をしているかもしれない。
俺は一応、社会人として生きている。
気楽だった学生生活とは違って、頭の中にあるのは金や職場連中に舐められないようにいがむ無駄なプライドだけ。
恋人はそれらしい人はいたけど、交際しようかと考えると妹を思い出してしまう。
今だって妹は恥ずかしい。野球少年のようにベリーショートにしている妹が。
だってそうだろ?
カノジョに『俺の妹、引きこもりなんだ』って紹介できるか? できねぇよ。
こんなことならもっと妹に気を遣えばよかった。
もっと女の子らしく扱えばよかった。
我慢強く女の子が好みそうな話題を振ればよかった。
なあ誰か教えてくれよ、引きこもった妹の心の開き方なんてどうすれば出来るんだ?
失敗した俺はどうやったらあの日の妹を取り戻せると思う?
なあそこのアンタ、教えてくれよ……なあ。
hano2